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神戸地方裁判所 昭和60年(行ウ)6号 判決 1990年6月20日

原告

金必玉

原告

鄭皇

原告

鄭倫

右三名訴訟代理人弁護士

加島宏

被告

兵庫県

右代表者知事

貝原俊民

右訴訟代理人弁護士

俵正市

右訴訟復代理人弁護士

寺内則雄

右指定代理人

羽古井良紀

塚本猷方

神崎敏道

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、原告金必玉及び鄭倫に各八分の三、同鄭皇に八分の二の割合で、総額金一五〇八万三七七〇円及び

内金五五万九八〇〇円に対しては昭和五一年一月一日より、残金の内金一二三万一五六〇円に対しては同五二年一月一日より、

更に残金の内金一三五万四七一六円に対しては同五三年一月一日より、

更に残金の内金一四九万〇一八七円に対しては同五四年一月一日より、

更に残金の内金一六三万九二〇六円に対しては同五五年一月一日より、

更に残金の内金一八〇万三一二六円に対しては同五六年一月一日より、

更に残金の内金一九八万三四三九円に対しては同五七年一月一日より、

更に残金の内金二一八万一七八三円に対しては同五八年一月一日より、

更に残金の内金二三九万九九六一円に対しては同五九年一月一日より、

残金の内金四三万九九九二円に対しては同五九年三月一日より、

各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  鄭判秀の地位

(一) 鄭判秀(以下「鄭」という。)は、昭和三四年六月一日付けで、兵庫県教育委員会(以下「県教委」という。)から、同県伊丹市立北中学校(以下「北中」という。)の非常勤講師とする旨の辞令を受けて同県に雇用され、北中内の朝鮮学級を担当した。

(二) 鄭のその後の勤務の実態は、常勤であった。

(三) よって、鄭は、一般職の地方公務員であった。

2  本件解職処分

県教委は、昭和五〇年六月三〇日付けで、鄭を解職した(以下「本件解職処分」という。)。

3  本件解職処分の違法性

本件解雇処分には、次のとおりの違法事由があり、無効である。

(一) 実体的違法性

(1) 鄭には、地方公務員法(以下「地公法」という。)二八条一項各号または二九条一項各号に定める一般職の地方公務員の免職処分事由はなかった。

(2) 仮に鄭が一般職の地方公務員でなかったとしても、本件解職処分には正当な理由がなく、一応正当な理由があったとしても解職処分にしなければならないほどではなかったから、解雇権の濫用である。

(二) 手続的違法性

本件解職処分の手続は、地公法、市町村立学校職員給与負担法(以下「給与負担法」という。)及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教行法」という。)に基づかない。

4  未払給与額

昭和五〇年六月三〇日の本件解職時における鄭の給与月額は、九万三三〇〇円であった。

条理及び一般の給与水準の上昇率に照らし、鄭の給与は、解職時の低額の給与を基礎にして考える場合には、昭和五一年から少なくとも毎年一〇パーセント宛増額されたとみなすことが適当である。これによって計算すれば、後述のとおり死亡により退職するまで、各暦年において鄭に支払われるべきであった給与の額は、次の額を下らない。

昭和五〇年(七~一二月) 五五万九八〇〇円

同五一年 一二三万一五六〇円

同五二年 一三五万四七一六円

同五三年 一四九万〇一八七円

同五四年 一六三万九二〇六円

同五五年 一八〇万三一二六円

同五六年 一九八万三四三九円

同五七年 二一八万一七八三円

同五八年 二三九万九九六一円

同五九年(一~二月) 四三万九九九二円

合計 一五〇八万三七七〇円

5  相続

鄭は、昭和五九年三月九日死亡した。

鄭の本国法(法例二五条)は韓国法であり、原告らは、同国民法一〇〇九条一項、三項により、左記のとおりの法定相続分に従って分割相続した。

妻・金必玉 八分の三

長男・鄭倫 八分の三

二男・鄭皇 八分の二

よって、原告らは、被告に対し、相続に係る給与支払請求権に基づき、請求の趣旨記載のとおりの未払給与及びこれに対する各支払期日の後の日である当該支払期日の属する歴年の翌年一月一日(昭和五九年分については、一月分と二月分といずれの支払期日の後でもある同年三月一日)から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)は認め、1(二)及び(三)は否認する。2は認める。3は争う。4は否認する。5は不知。

三  抗弁

1  本件解職処分の適法性

(一) 実体的適法性

鄭には以下に掲示する事由があり、公立学校の教師として適格性を欠いたものである。

<1> 鄭は、非常勤講師として、その職務を忠実に遂行すべき義務を有しているにもかかわらず、その在職中しばしば授業時間数を増やすよう校長に迫り、果ては、校長の指示を無視し、正規の教育課程に基づく授業中に生徒を呼び出したり、生徒に朝鮮学級への出席を強制し、これに応じない生徒に暴行を加えたりしては問題を起こし、朝鮮人父兄より苦情及び要望書が提出されてきた。そこで、この長年の問題を解決すべく、伊丹市教育委員会(以下「市教委」という。)及び北中校長と鄭との間において、昭和四九年四月三〇日、「伊丹市立北中学校朝鮮人学級の運営についての内規」が取り交わされた。そして、この内規締結以降、朝鮮学級は、内規どおりに平穏に実施されていた。

<2> ところが、鄭は、昭和五〇年三月一五日、昭和四九年度北中卒業式において、北中校長橋詰道信が卒業証書を授与している最中に、朝鮮人生徒が通称名(日本名)で呼ばれていることに抗議して同校長の立っている演台下にせまった。同校長は、式を中断すれば、一層混乱すると判断し、そのまま全生徒の証書授与を終え、祝辞を述べて演台から降りてきたところ、鄭は、校長の席につめ寄り、通称名で呼んだことについてさらに激しく抗議し、訂正せよとせまり、同校長は式が済んでから話をしようと何度も断ったが、鄭は式場外に出てすぐさま話し合いをせよと同校長の腕を引っ張ったり、座席腰掛の脚を二度にわたって揺さぶり引っ張るなどの行為に及んだため、同校長は、式場内での混乱を避けるためやむなく式場外に出ざるを得なくなった。同校長は、鄭に対し、式場外で、呼名については前記内規どおり(内規では、姓名は、通称名で呼ぶことになっている。)実施したまでではないかと説得したが、鄭は、納得せず、執拗に本名に訂正せよとせまった。式は一応無事終了したが、鄭は、式後、父兄の謝恩会に出席前、再び校長室に来て、同校長に対し、大声で「朝鮮学級に対する挑戦だ。いいかっこしようと思ったんやろ。けんか売る気か」等と今にもつかみかかりかねない姿勢でどなりつけた。同校長は、市教委学校教育課長にも同席を求めた上、約二時間にわたりこもごも説得した結果、鄭は、一応了解した旨述べ、さらに、同年三月二〇日の職員朝礼で謝罪したい旨申し出たので、同校長もこれを承知した。

<3> しかるに、鄭は、当日に至り態度を変え、「鄭があのような行動に出たのは卒業式をつぶしにかかったのだと職員がいいふらした。朝鮮生徒が鄭をなぐってやるといって廊下を徘徊した。卒業式のことは、朝鮮学級に対する挑戦だ。朝鮮学級をつぶしてやると言った教師がいる。朝鮮学級に対するつけは命のある限り必ず返す」等、全く根も葉もない非教育的言辞を発表して職員・生徒に混乱を惹起した。

<4> その後、さらに同年三月二五日の終業式のあと、鄭は、校長室へ来て、同校長に対し一方的に前記内規の破棄を通告するに至った。

<5> そこで、同年四月九日の入学式は、呼名問題につき、鄭と朝鮮学級の運営に反対する多数の朝鮮人保護者との間で混乱が予想されたため、学校側は事前に警察の出動を要請するとともに、式前日、鄭を数時間にわたって説得し、やっと、平穏に入学式を終えたというような有様であった。

<6> 鄭は、同年四月一六日の昼食後の休憩時間(午後〇時五五分頃)に、校舎三階西側水洗場近くで遊んでいた三年生徒の沈(杉本)好章、金(村田)政章の両名を、何も言わないで、四階踊り場まで引きつり上げ、沈の肩を持ちながら、何の理由も告知せず足払いをかけ、コンクリート上に倒し、さらに金にも同様に足払いをかけて倒し、その上に腹部と鼻を足で蹴るなどの暴行を加えた。右両名が理由を聞くと、鄭は「お前らが先生の悪口を言っているのを知っているんやぞ」と言ったので、両名は、全く身に憶えのないことで暴行を受けたとわかったが、恐怖のあまり別にそれ以上反論するすべもなかった。

<7> さらに、鄭は、同日の六校時の普通授業中、三年生徒の朴連興、辛勝雄、沈好章、金政章、金幸守を朝鮮教室に呼び出し、朴に対し、本人が何も言っていないと言っているにもかかわらず、右の悪口の件で責めたて、同人の胸ぐらを蹴るなどの暴行を加えた。

<8> このほか、校長は、鄭を辛抱強く指導し、同年四月九日には「普通学級の時間割の編成については、前年度通り行うこととする」等を内容とする朝鮮学級生徒についての確認事項をとりつけ、何度も前記内規通り実施するよう指導を続け、同年五月一日にも同様の指示をしたが、鄭は、これに全く応じようとしなかった。

<9> そして、同年五月六日午前一〇時四〇分頃、鄭は、正課の授業中、校内放送により、三年三組以外の三年生全員に朝鮮学級の授業参加を通知し、三校時、授業を実施し、九名の生徒が出席し(生徒が自発的に出席したわけではなく、鄭の制裁をおそれてこれに参加したものである。)、朝鮮歴史の授業が行われた。折りしも、当日、右授業に反対する朝鮮人保護者四名が学校に抗議に来ており、右放送を聞くや、朝鮮学級教室に押しかけ、鄭との間で、激しいやりとりが交わされ、ついに、生徒の目前で、暴力事件が発生するまでに至った。

<10> 右事件後、朝鮮人保護者二五名から、校長に対し、正課の授業中、強制的に朝鮮学級の授業を受けさせる鄭のもとへは行かせない、歴史、国語の授業は、他で学習しているので不必要である等を内容とする要望書が提出された。

<11> 鄭は、昭和四七年三月頃、北中の新校舎が竣工するや、校長の命令を聞かず、一方的に最も良い位置にある四階の一室を朝鮮学級の教室として占拠した。

<12> 鄭は、右朝鮮学級の教室前廊下を無断で通行することを禁止し、無断で通行した生徒には、日本人・朝鮮人を問わず、通行の理由をただし、鄭に対しいやがらせをしたと責め、昼食も取らせなかったり、五、六時間も立たせたまま詰問し、詫状を書かせるなど教育者として非常識極まりないことを敢えて行ってきた。

<13> このことを校長その他の教職員が制止すると、これに対し、鄭が喧嘩に及ぶこともしばしばであった。

<14> 朝鮮学級に不参加の生徒には、正課の授業中にもかかわらず、教室から連れ出し、長時間、説教・詰問を行い、そのため、生徒の中には、この授業のある日は登校しない者がいたくらいである。

(二) 手続的適法性

(1) 解職前の事情聴取

県教委は、昭和五〇年五月上旬以降から口頭及び文書によって、鄭に係る本件解職理由とされた各事実について報告がなされたので、右報告内容の事実を確認すべく、教職員課西山管理主事等を同月中旬市教委へ、さらに同年六月上旬には、北中へそれぞれ派遣し、市教委の職員及び校長の立会いのもとに、直接鄭より事情聴取を行った。

(2) 解職の決定

昭和五〇年六月一六日に、公立学校の教職員としての適格性を欠いているので、鄭に相当の処分を求めることを内容とした内申が、市教委から県教委に対してなされた。これを受けて、県教委は、同月一七日に開催された昭和五〇年度第七回定例教育委員会において鄭の処分案を含めた人事案件を付議した。同委員会では、鷺澤教職員課長による事案及び処分案の説明を受け、審議がなされた結果、昭和五〇年六月三〇日をもって鄭を解職するという処分を決定した。

(3) 決定の告知

同議決に基づき、同年六月三〇日、北中校長室において、県教委事務局職員、市教委事務局職員、北中校長立会いの上、伊丹市教育次長より鄭に、同人が校長のたび重なる指示に従わず、教育にたずさわる者としての適格性を欠く行為があったので解職する旨を伝えた。

2  時効

鄭が昭和五〇年七月以降も北中に在職していたとしても、本訴請求の報酬請求権は、労働基準法一一五条に規定する消滅時効により、既に消滅している。

四  抗弁に対する認否

抗弁1の事実は、すべて否認する。

五  再抗弁

1  並行授業の正当性

(一) 被告(兵庫県)は、昭和二五年三月二五日、朝鮮人社会の代表者との間で、「朝鮮人学校閉鎖に伴う朝鮮人子弟教育について」と題する覚書(《証拠略》)を取り交わし、この中で、「授業は、朝鮮国語、朝鮮歴史、朝鮮地理を課外として実施するも、正課同様に実施する」と定めた。これを受けて、伊丹市も朝鮮人父母との間で同様の覚書(《証拠略》)を取り交わし、この中で、「朝鮮語、朝鮮歴史、朝鮮地理は、課外において、上学年は週六時間、下学年は週四時間の授業を行うことを原則とし、正課に準じて取扱う」と定めた。北中の朝鮮学級は、右両覚書に基づいて設置されたものである。

(二) 朝鮮学級の授業は、右両覚書に基づき、放課後の他、正課の授業と並行して行われ、朝鮮人生徒は、正課の授業を欠席してこの朝鮮学級の授業に出席しなければならないことになっていた。

2  卒業式の呼名

北中朝鮮学級開設以来、同学級に籍を置いた朝鮮人生徒の卒業式での呼名は本名ですることとされ、実際にもそのように行われてきた。

六  再抗弁に対する認否

1(一)は認める。1(二)は争う。2は明らかに争わない。

第三証拠

証拠は、記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから引用する。

理由

一  鄭の地位

請求原因1(一)の事実(鄭が非常勤講師として雇用されたこと)については、当事者間に争いがなく、その勤務の実態が常勤であったとしても、県教委がその後、鄭を常勤講師とする旨の意思表示をしない以上、その地位に変わりはない。請求原因1(二)(勤務の実態)の主張を県教委の右の旨の黙示の意思表示があったとの趣旨と善解しても、鄭及び証人長谷川清の各供述及びこれにより成立を認めうる(証拠略)によれば、昭和四九年三月ころ、市教委は鄭の強い意向を受けてその身分を常勤講師に変更されたい旨の要望書を県教委へ提出したが、同年四月、県教委は右要望を容れない旨の回答をしたことが認められ、その余の証拠によるも、鄭を常勤講師に変更する旨の県教委の黙示の意思表示があったとは認めることができない。

そうすると、鄭の身分は雇用当初から一貫して非常勤講師であったと言うほかなく、これは非常勤の嘱託員(地公法三条三項三号)に該当する特別職であって、鄭に地公法の適用はないことになる(同法四条二項)。

二  本件解職処分

請求原因2の事実(本件解職処分)については、当事者間に争いがない。

三  本件解職処分の適法性

1  処分の実体的根拠

(一)  生徒に対する暴行

証人橋詰道信及び同袴田淳之輔の各証言、これにより成立が認められる(証拠略)鄭の供述によれば、昭和五〇年四月一六日午後一時ころ、鄭が北中の校舎四階の朝鮮学級の教室にいたところ、三階の廊下から「ケグリケグリ」(朝鮮語で蛙の意。鄭の愛称でもある。)と数人の生徒が騒いでいるのが聞こえたこと、鄭はこれを聞いて憎しみを込めて騒いでいるような気がしたこと、鄭は生徒に注意しようと階段から三階へ降りて行き、水洗場付近にいた生徒のうち、三年生の金(村田)政章及び沈(松本)好章の肩を持って両名を階段の三階と四階の中間の踊り場へ連行したこと、その直後、金及び沈はその場に倒れたこと、その前後、鄭は両名に対し「お前らが先生の悪口を言っているのを知っているんやぞ。お前らがさっき先生のあだ名を言っていたやないか。それも数回言っていたやないか。お前らしか朝鮮語をしゃべれるものはおらんからな」と言ったこと、鄭はその日のうちに金の受傷あるいは治療の有無を確認するために医務室へ行ったこと、右両生徒は直ちに学級担任の教師へ鄭から暴行を受けた旨報告したこと、生徒指導担当の教諭袴田淳之輔はその日の放課後に両生徒から暴行の内容を直接聴取し、校長に報告し、その日のうちに右両生徒他三人の生徒計五名の家庭を訪問したところ、その際、右生徒の家人から抗議を受けたこと、袴田教諭は校長の指示を受け、同年五月一〇日の放課後、鄭から暴行を受けた旨訴える生徒五名から再度事情を聴取し、校長にその報告書を提出したこと、校長はその報告書の内容を学年主任教諭南萬良及び学級担任教諭高坂康子に確認させたうえ、これを教育委員会への報告書の一部としたこと(《証拠略》)、(証拠略)には、抗弁1(一)<6>、<7>に沿う鄭の生徒に対する暴行が記載されていることが認められる。

鄭は右認定事実のうち階段踊り場に至る経緯についてはほぼ認めるものの、金が鄭から逃げようとして体を揺らしてバランスを失して倒れたとして暴行の事実を否認する供述をするが、鄭が「ケグリケグリ」という声を聞いたときこれを憎しみを込めて言っているように感じ取っており、騒いでいる生徒に対し強い反感を抱いたと認められ、その直後に生徒に対し暴力を含む高圧的態度に出る動機はあったこと、鄭の聞いた「ケグリケグリ」は、生徒に対する鄭の詰問の内容と符号し、生徒らの言い分に自然の流れがあること、生徒らは踊り場で転倒してから直ちに学級担任の教諭へ暴行の事実を訴えたこと、生徒の家庭から教諭らへ抗議があったこと、(証拠略)は、事実関係を複数回にわたって確認のうえ、教育委員会への報告の用に供されたもので、信用性が高いことを総合考慮すると、金及び沈が踊り場に転倒したのは抗弁1(一)<6>のとおり鄭の暴行によるものと推認するのが相当である。

また、右事実及び前掲各証拠によれば、抗弁1(一)<7>の鄭の暴行の事実も認めることができる。

(二)  並行授業の強行

証人橋詰道信及び同長谷川清の各証言によれば、鄭は昭和四九年度は校長の要請に従い、朝鮮学級の授業を放課後にのみ実施したが、これでは学校行事により実施できない授業時間が多数に及び、受け容れ難いとして、昭和五〇年度からは正規の授業と並行して朝鮮学級の授業を実施する旨校長らに通告し、校長の制止を無視して、昭和五〇年五月六日三校時に朝鮮歴史の授業をする旨校内放送を通じて三年生の朝鮮人生徒に通知し、これを強行したことが認められ、鄭の供述中これに反する部分は採用しない。

教育課程の編成に関する法制を見ると、中学校の教科に関する事項は監督庁が定め(学校教育法三八条)、その監督庁を文部大臣とし(同法一〇六条一項本文)、これを受けた文部省令たる学校教育法施行規則五三条は教科目を、同五四条は標準授業時間を定めるほか、教育課程の基準は文部大臣が別に公示する中学校学習指導要領によるものと定め(同規則五四条の二)、同要領第一章1は、「学校においては、法令及びこの章以下に示すところに従い……適切な教育課程を編成するものとする」と定められている。

したがって、教育課程の第一次的編成権は、校務をつかさどり所属職員を監督する校長(学校教育法四〇条、二八条三項)に属すると解するのが相当である。この校長の有する第一次的編成権に対し、文部大臣、都道府県教育委員会または市町村教育委員会は、規則で基準を定める等により、規制を加えることができる(地教行法三三条一項、四八条一項、二項二号、四九条)。

したがって、校長の制止に反して正課の授業中に並行して正課の授業以外の授業を企図し実施することは、校長の教育課程の編成権を犯すもので違法である。

再抗弁1(一)(両覚書の取交わしと朝鮮学級の設置)の事実は当事者間に争いがなく、原告らは、右両覚書が並行授業の法的根拠である旨主張する。そこで両覚書の法的効力について検討する。成立に争いのない(証拠略)によれば、昭和二五年三月二五日、兵庫県側の副知事及び県教委担当者と朝鮮人側代表者五名が、朝鮮学級の設置について合意したこと、同年八月二五日、市教委担当者、伊丹市長、県教委調査課長、朝鮮人父兄代表者四名がほぼ同様の合意をしたことが窺われる。しかしながら、前記の教育課程の編成権の所在に照らせば、県教委や市教委の担当者は、朝鮮学級の時間割に関し一存で決定することはできないこと、両覚書に朝鮮人の代表として氏名の記載のある者が各覚書の内容について全朝鮮人から個別の委任を受けたとは到底認め難く、法律上全朝鮮人を代表する資格を有する旨の主張もないことから、法律上は文字通り全朝鮮人を代表する資格を有するとは認められないこと、教育課程の編成は生徒に直接接している学校において最も良くなしうること、特に授業の時間割等の細目は恒常性に乏しく、学校における臨機な対応に親しむ度合いが高いこと、朝鮮学級の設置・運営の意義・目的自体、その時々の国際情勢、在日朝鮮人の法律上及び事実上の地位、在日朝鮮人一般の意向、上級学校への進学率等の流動的要素に影響され、恒久的とは言い難いことを総合考慮すると、前記両覚書は、教育行政当局の当面の一般的方針の表明にすぎず、法律上の効力は有しないと解するのが相当である。両覚書により、その後実際に北中に朝鮮学級が設置・運営されてきたとしても、それはその時々の学校長が両覚書の趣旨を尊重し、教育課程の編成に関し法令により与えられた裁量権を行使した結果であって、両覚書に法的拘束力があり学校長がこれに拘束された結果と解するのは相当でない。よって、両覚書に法律上の効力があることを前提とする原告らの主張は失当である。

(三)  卒業式当日の抗議

証人橋詰道信、同袴田淳之輔及び同長谷川清の各証言によれば、抗弁1(一)<2>(鄭の抗議)の事実を認めることができ、鄭の供述中これに反する部分は採用しない。

卒業式における朝鮮人の生徒の呼名を通称名、本名のいずれにするかについて、法令に特段の規定はないから、校務一般をつかさどる校長の裁量に属すると解するのが相当である。(証拠略)によれば、朝鮮人生徒は、日常の学校生活では通称名で呼ばれ、この点について特に異論はなく、一部の朝鮮人父兄からは生徒の呼名は本名でせずに通称名を用いられたい旨の要望が学校や教育委員会へ寄せられていたことが認められ、これらの事情を勘案すれば、抗弁1(一)<2>の通称名による呼名は、校長の裁量の範囲内にあったと言うべきである。朝鮮学級の開設以来昭和四八年度まで、卒業式の朝鮮人生徒の呼名が本名でされてきたことについては、被告は明らかに争わないが、前記父兄からの要望や日常の学校生活による呼名の実態に照らすと、卒業式の呼名を本名によってする慣行が関係者の法的確信に支えられたものとまで言うことはできない。

そうすると、抗弁1(一)<2>の一連の鄭の抗議自体法律上の根拠を欠くうえに、その態様も穏やかではなく、卒業式会場におけるものとしても、校長室における振舞いとしても社会的相当性を欠いたと評すべきである。

(四)  総括

以上(一)ないし(三)に認定した事実を総合すれば、鄭は公立学校の教師として適格性を欠いたと評価することができる。したがって、本件解職処分は、正当な理由に基づくものであり、解雇権の濫用には当たらない。

2  処分の適正手続の履践

証人長谷川清、同中村良三及び同鷲澤衛也の各証言によれば、抗弁1(二)(解職手続)の事実を認めることができ、これによれば、本件解職処分に手続上の違法はなかったと認めるのが相当である。

なお、付言するに、地教行法三七条、三八条、給与負担法一条、二条、地方自治法二〇三条、二〇四条を総合すると、県教委が職員の任免その他の進退を行うにつき、地教行法三八条一項の市教委の内申をまつべきものとされるのは、常勤の職員の場合に限られると解されるところ、鄭の身分が非常勤講師であったことは先に認定したとおりであるから、市教委の内申に関して、地教行法三八条一項の適用はなく、同条の内申は元来不要であったと言うべきである。

3  以上のとおり、本件解職処分は、実体的にも手続的にも適法である。

四  結論

よって、原告らの本訴請求はいずれも失当であるので棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九三条一項本文、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 林泰民 裁判官 岡部崇明 裁判官 井上薫)

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